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ボクの細道

 梅雨の季節と言えども、その合間に差し込む日差しは、もうすでに、夏光線。濃さを増した樹々の緑を背景に、くっきりとした濃い影が描き出す夏のコントラストに、園全体が包まれていきます。

 そこへ、満を持してプールの組み立て、2階テラスに日よけネットが張られると…誠美の夏の構えが出来上がるのです。

 こうした初夏ならではの高揚感の裏側で、保育園運営に必要な事務書類作りがピークを迎えるのも、ちょうどこの時期。

 難しい文言が並ぶパソコンの画面を睨み、う〜んと唸りながら、首を2度3度とグルグルと回していると、決まってその私の後方を、子どもたちや保育者の楽しげな声が、通過していくのでした。

 そう、私のデスクのある部屋のすぐ外が、駐車場のある表門から園舎裏の遊歩道へと続く抜け道になっているのです。

 朝夕の時間は、遊歩道からお迎えに入って来たお母さんお父さんの、少し乾いた感じの革靴の音が、コツ コツ コツ コツと近づいてくるのが聞こえます。お迎えを終えた帰り道は、パタ パタ パタ パタと遊歩道へと駆け抜けていく子どもの靴音が先に聞こえ、その音が止まったかと思うと、突然「今日、カレー?」と後方へ問いかける声が響いてくる…。

 また、そうした足音が突然に泣き声に代わることも。「あ〜、痛かったねぇ。」との声に、そこまで調子よく歩みを進めていた「よちよち歩き」の足がもつれて転倒した様子が目に浮かびます。

 左右に建物の壁が立ち上がる、まるでトンネルのようなこの狭い空間は、なぜか冒険心のようなものがくすぐられ、自分の足でくぐり通り抜けてみたくなる…そんな「抜け道」なのです。

 聞くともなしに聞こえてくるこうした「音」の連鎖に、仕事の手を止め、壁の向こうの親子の姿と心情を思い描きながら、「うんうん」と腕組みをして、感じ入ってしまうのです。

 さて、この抜け道の日中の通行人は、お散歩へ向かう子どもたちと保育者。

 園外から帰って来た時…「俺、一番!」と声をあげながら、全速力で駆け抜けていく足音や、後から到着した友だちを、脅かそうと「ば〜!」と物陰から投げ掛けられるいくつもの声。

 戻ってくるみんなを、達成感や安堵感で満たしてくれるこの特別な空間。子どもたちや保育者によって繰り広げられる、その時々の様々な「音」の応酬から、園外で味わった興奮の余韻のようなものが、私にも伝わってきます。

 この抜け道の途中に、ちょうど食材の搬入口があります。お散歩から帰る頃には、ここにも料理の匂いが立ち込み始めて、ちょうどお腹も空いてきた通行人たちが…思わず搬入口の呼び鈴を押してしまうようで、給食スタッフと会話する声が、よく聞こえてきます。この日も、レンコンやゴボウなどを囲んで、何やらやり取りが続いているようでした。

 こうした日常のささやかな「食」を介したヒト(作り手)やモノ(食材)との出会いを重ねていくことが、食育活動そのものであることを実感する場面です。

 朝から晩まで…こんな抜け道で、様々なドラマが生まれています。起こっている「事」は、どこにでもある他愛のない出来事なのですが、それぞれにとっては特別な「意味」を持つ経験なのです。

 お気付きかもしれませんが、今少しずつ、園内の保育記録の掲示の書きぶりを変えていこうと試行錯誤を始めました。それはまさに、今まで以上に「事」から「意味」へと表現をシフトしていこうとする試みで、「何をしたか」より、「どんな(意味の)経験だったのか」にフォーカスしていきたいとの考えからです。

 しかし、担任に対する集団規模が大きい学年になるに従い、それぞれに異なるはずの経験の意味を、毎日全て網羅することは不可能です。なので、ある場面に着目した写真やコメントが増えていく一方で、「何をしたか」といった全体を、網羅的に説明する写真や、ご自身のお子さんが写り込んだ写真も少なくなるかもしれません。限られた時間の中では、内容を絞らざるを得ないことを、ご理解いただければ幸いです。

 描かれていくのは、限られた場面なのかもしれませんが、そうした日々の記録を読み重ねていく中で、「何をしたか」以上に、どんな経験が期待されて、次なる展開の中に何が意図されているのかを感じてもらえる…そんな記録のあり方を、目指していきたいと思っています。

 何が描かれるかより、私たちの見えないところでも、それぞれに意味ある経験が生まれていくことこそが大事なことです。特定の場面であっても、それを表現し、振り返り、意味を問うてみることを重ねることが、そこここで繰り広げられる、みんなの経験の質を上げていく…。

 そう信じて。

(令和元年6月号 園だより「ひぐらし」より)

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