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ふるえる心をもつために

 何か変だぞと思いながら、わけの分からぬまま、暴風雨に振り回されながら過ごしている感のあるこの秋。

 そして運動会は、台風の翌週であったにもかかわらず、相変わらずの天候不順で、お借りしていた宮上小の体育館での開催となりました。

 園児自作曲の斉唱(録音)で幕を開けた運動会。運動会そのものを子どもたちと一緒に作ってみよう、みんなで決めた演目を、毎日の遊びの中で十分に楽しんでいこう…そんな思いで進めているためか、伝統的な運動会らしさから、どんどん遠のいていくようで…その代わりに、当日までの毎日の遊びがどんどん充実していって、前日の園内は、運動会に関する歌にダンスにおしゃべりに、最高潮を迎えていたような気がします。

 当日は、普段遊んでいる園庭とは勝手が違ったため、少し戸惑いながらも、決まった形を見栄え良く再現するというよりは、サーキット(障害物走)の場面に象徴されるように、当日もいつものように、コース作りから楽しもうという「ライブ感」も大事にしていきました。

 「体」を動かす運動会も、自分たちで作ろうとするほど「頭」も動かす。「体」と「頭」をせっせと動かしていったら、いつの間にやら「心」も動いていった…開会の挨拶で、当日までのワクワク感を、私はそんな言葉で表現しました。

 その話をした後に、かつて目にした絵本作家の五味太郎氏の著作が蘇ってきました。

 『じょうぶな頭とかしこい体になるために』

 育ち方、育て方のひとつの側面を捉えたこの(「頭」と「体」の挿入箇所入れ替えた)秀逸なタイトルが、とても印象的でした。

 「何をしたらいいのか自分でよくわからないんだ」
 「多数決で決めちゃうって変だよ…」
 「わたし ぼーっとしているのが好きなの」
 「ずっと働かないで暮らしてゆきたい」
 「大人になんかなりたくない」
 「名前を変えたい!」
 「お金がほしい」

 そんな子どもたちの抱く素朴な50個の疑問ひとつひとつに、著者が答えていく体裁を取りながら、実は、著者が考える人生や社会、身の回りに対する「構え」というものを、親たち大人たちに投げかけている本…著者曰く「頭がもっとじょうぶになるための、体がもっとかしこくなるためのトレーニング」…そんな内容なのですが。(ご興味のある方は、ぜひ手にとってみてください。)

 その本の中で、「どうして、女らしく男らしくしなければならないか」、つまり「らしさとはどういうことか」という疑問にも答えていました。

 すると、「それは、心配性と同時に、無知ということから起こることが多い。」と手厳しく、食べ物や樹木にも、それ以上に女にも男にも、いろいろな人がいるわけなので、「『らしく』と言われても、どの『らしく』なのか見当もつかないというのが正解でしょう。」と続きます。

 運動会「らしさ」なんて呟いていた私は、なるほど、まだまだ無知なのかもしれません。
 そして、そんな人には「『大人らしくないわよ』と軽く対応してあげましょう。」と、その章は結ばれていました。

 そして最後に、「なぜ友だちと競争しなくてはいけないんだろう」への回答もご紹介。

 競争の全てが悪とは言えないまでも、自分にとって必要もない競争を、周囲から強いられることだけはつまらない…と前置きしながら、

 「競争が常に価値を持てる方法がただひとつあります。自分と自分が競争することです。」

 他人が褒めても、自分が気に入らなければ負け、自分が素敵と思えば勝ち。それをあえて友だちと競争するのなら、

 「どちらが自分に厳しく自分と競争しているかを競争する」

 それは「きびしいけど、カッコいい」

(令和元年10月号 園だより「ひぐらし」より)

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