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冬に編まれた物語

 今はもう、午睡のなくなっている5歳児たち。この冬、その女児たちのお気に入りが、副園長による編み物教室。給食が終わってひとごこちがついた頃、ガタガタと事務室の扉が開き、副園長を探す彼女たちの声が響くのです。

 そして、まずは副園長に相談しながら、昨日までの手の動きを思い出していくと…だんだんとリズムがついてきて、不思議なことに、気がつくと勝手に手が動いているのです。まるで、指先にもう一つの意思が宿ったかのように。

 いわゆるこれが、「手仕事」というやつ。

 すると、仕事を手先に任せて、少し余裕の出てきた頭の中では、様々な思いが巡り始めるもので…溜まってきた思いが溢れるように、次はひとりでに口が動き出すではありませんか。

 そう、これが「井戸端会議」というやつ。

 「○○ちゃんは、いいなぁ。」

 と子どもたち。その日の編み物会議の議題は、午前中に出かけた宮上小への学校訪問。そこで、先輩の小学生たちが、一足先に、学校生活の一部を体験させてくれたのですが、その時、たまたま自分が体験できなかった「あること」を、しみじみと「やりたかった」とこぼしていたという話を、副園長から聞きました。

 なんとそれが…掃除。手の抜き方ばかりに頭を絞っていた思い出しかない私には、その純粋な好奇心に胸が熱くなるのでした。こうしたささやかな期待感も大事にしていかなくちゃなと。

 手先の動きと、口の動き(会話)…この別々の二つの動きを、同時に働かせていくこの見事な能力。まさに、年長児の育ちを感じる姿です。

 何かに大きく心を揺らしながら、話したくて、伝えたくて…というものとはまた違って、何かの作業に身を委ねながら、ふと溢れてくる他愛もない会話の心地よさ…そして、そこにこそ、本当の思いが語られていたり。

 こうした「手仕事」を覚えておくことが、これからの彼女たちの、何かの時の拠り所になれば…とは副園長の弁。

 そういえばこの冬、ホールの一角に巨大な「ビー玉コロコロ装置」も出現していました。

 それは、製作の材料にと、ある家庭から、たくさんの「ラップの芯」をいただいたことから始まりました。

 それを受け取った保育者は、あることを思い出したそうです。一つは、昼食時に子どもと交わした、テレビ番組に登場する「ビーだまビーすけ」の話。そしてもう一つが、以前、みんなで大きな恐竜を描こうと、筒状に丸めてあった模造紙を広げた時、カールした端の部分の傾斜を利用して、子ども達が鉛筆を転がして到達距離を競っていた光景。

 心に止めておいた子どもたちの気づきや関心が、目の前の筒状の素材と一気に繋がり、朝の会で子どもたちに、装置作りを投げかけてみたというのです。

 そして、その装置作りが佳境に入った頃、ビー玉が滑るように転がりそうな、L字状の透明なレールが追加されているのを見つけました。聞けば、量販店で見つけたからと、また別の家庭から提供があったとのこと。家庭の中でも、装置作りについて興奮気味に語る子どもの様子が想像できました。

 そしてその時、私も思い出したのです。以前、園に納品された家具の、角をガードする梱包材として使われていた全く同じ形状の素材を、何かの遊びに使えそうだと、密かに保管していたことを!

 おかげで、ついに陽の目を見た秘蔵の廃材だったわけですが、まるで連想ゲームのように、色々な人たちの発想が繋がり合いながら、展開を見せていったこの装置作り。こういった偶発性を包含した活動の展開が、幼児期特有の学びの形なのですが…これは果たして、ただの偶然の結果なのでしょうか。

 価値ある毎日を送りたい願う、子どもと大人たちが織りなす、これもひとつの必然…私はそう考えたいのです。

(令和2年2月号 園だより「ひぐらし」より)

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