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飾り棚を囲んで

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新年度のスタートダッシュもGWで一息。さあと辺りを見回すと、目に眩しい新緑につつまれた季節へと時が流れているのに気づきます。

徐々に新生活に慣れてきた子どもたちも、この時期ならではの気持ちよい外気を切って、外遊びを満喫しているようで、玄関前でも、なにやら賑わいを見せておりました。

何人かの子どもたちが集まり、飾り棚に陳列していたのは、どうやら砂でかたどったケーキ。砂場で夢中になってデコレーションを施している子どもたちに、保育者が展示を提案したのかもしれません。

「さあ」と声を掛けられて作る、いわゆる「作品」を一斉に展示するのも悪いわけではないのですが、子どもたちが、普段の遊びの中で、イマジネーションの世界を時を忘れて彷徨いながら、自発的に生み出したものを、どこかにそっと飾ってあげることにも、大きな意味を感じます。

それは、園内にその子を「位置付ける」ことになるからです。あなたの価値観を認めているよ、もっと言えば、あなたがここにいる意味を感じているよ、という気持ちを具体的な形で伝えていくことになるからです。自分の分身が「位置付け」られる様子を見る子どもたちは、なんだか誇らしげで、「よくできたね。」といった言葉以上に、それだけで有能感(自分にも特別な力があるという気持ち)を感じているように見えます。

さてさて、ただの陳列も子どもたちにとってはそれぞれに思うところがあるようで、みんなで砂ケーキを綺麗に飾り終えた棚を囲んで、飛びかからんばかりの大激論が始まっていました。意地悪くも、何やら面白くなってきたなと、そばに近づいて聞き耳を立てようとした矢先、その喧騒を聞きつけた別の保育者が、事情聴取にとその輪へ分入っていきました。

新しい仲間づくりを始めたこの季節。風に揺れる新緑を背景に、そこここで巻き起こる子ども同士の葛藤は大事なプロセスです。木々が紅く色づく頃、こうした喧騒を別の賑わいへと姿を変えていくために……。

そういえば「おとなしい」という言葉の語源は「音無し」からきていると聞いたことがあります。そして大人が物静かで落ち着いている様から、「大人しい」という字を当てていったとか。こうした子どもたちの一定の喧騒も、大人になっていくために辿る道筋の大事な通過点だと思うのです。

最近は、子どもの声は騒音か?といった話題が報道等でも取り上げらようになりました。子どもの声の高さ(周波数)は、ちょうど人の気に障る高さなのだそうです。なので、助けを求める子どもの声にも、大人は敏感に反応できるわけです。

子どもの声を煩わしく感じるようになったのは、「全てに快適性を追い求めてきた現代人、都市化社会の副産物」と語る有識者がおりました。

なるほど……私たちが求める「快適」とは何なのでしょうか。

(平成28年5月号「園だより」より)

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