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 先日、運動会に変えて、あおぞら(4歳)、とり(5歳)それぞれを2日にわけ、いっときの時間ではあったのですが、パラバルーンやリレー遊びに取り組む運動遊びの参観日を設けました。
 お仕事等で参観できない保護者もあるかと、当日は動画撮影を試みたのですが、そこには一抹の不安がありました。
 今や誰でもどこでも、手軽に動画が撮影できるようなったことに加え、その画質も以前とは比べ物ならないくらいのクオリティー。おそらく、家庭の録画機材よりも、ずっと古くてしかも入門機レベルの園のビデオカメラ。屋外の音声をどこまでキャッチできるのか、目の肥えた視聴者のみなさんに、果たして、ご納得いただけるのかという不安が。

 そして迎えた当日。せめてアングルくらいはと三脚を築山に運び、1時間近くも前から、ああでもないこうでもないとセッティング。その様子を見ていた(その日、スナップや集合写真をお願いした)プロのカメラマンの「それ、素晴らしい三脚ですね。」という言葉に、そこですかと、少し悲しげな笑みを返す私。
 それを終えると、今度は、反対側の園舎の屋上へと向かい、もう一台のカメラのセッティング。築山のカメラにトラブルがあった場合のリザーブとして、2台体制を組んだのでした。

 そこから、先ほど築山の頂上に立てたカメラを見下ろし、遠目に「よし」と確認している時、その隣にすっと降ろされたもう一台の三脚。その上に鎮座する、外付けのマイクまで備えた、明らかに高機能な保護者のカメラを見た瞬間、薄日の差し始めた空を、思わず仰ぎ見たのでした…ああ、私たちが撮影する意味が、一体どこにあるというのかと。何も真横に並べなくたって…ならば、その動画データを貰えはしないかと。そして、密かに心に誓ったのでした…築山からの録画データは、絶対にお蔵入りにしようと。

 さて、そのようにして?出来上がった配信動画はいかがだったでしょうか。
 最初にバルーンを囲み、位置取りをしていくあおぞら(4歳児)の子どもたち。とり(5歳児)とは違って、一発で決まるほど、まだうまい動きはできないのだけれど、なんだかんだと、自分たちで声を掛合いながら、少しずつ、ドタバタとポジションを調整していく姿。少し間延びしたこうした時間にこそ、4歳児ならではの育ちが表れているのです。
 
 とり(5歳児)のリレー遊びでは、思わぬハプニングもありました。
 別れた3チームの人数が異なるため、複数回走る子もいるのですが、周回遅れのチームも出る中、そのやり繰りが正確にリレーされていったのかが、途中から保育者たちにも、わからなくなってしまったようでした。
 最終的に「やり直そう!」ということになったのですが、私はここで、「子どもたちに相談してみる」という選択もあったように思いました。もちろん、保護者の参観もある中、そんな悠長なことはしていられない、という大人たちの判断も致し方ないとも思いますが、こういった場面にこそ、5歳児の育ちが発揮されたようにも思うのです。

 一旦決まった勝負がやり直しになっても、2回目の勝負が決した後でも、走っている時の真剣な表情とはうって変わって、子どもたちは、さほど順位にこだわりはないように見えました。
 ここに、遊びの本質があるような気がします。最終的に勝負がつくことを求めているのではなく、遊びに浸ること自体が面白いようです。それは子どもたちが、バトンを渡し終えてもまた走りたくて、また順番待ちの列に並ぶという「無限リレー」が大好きなことにも現れています。あの大好きな「鬼ごっこ」でも、永遠に決着はつきません。

 自分が手渡すバトンで走りが繋がっていくことや、鬼から逃げ回るドキドキ感…結果ではなく、その瞬間が面白くてたまらないのが、「遊び」なのです。
 だから、リレー競争ではなく、リレー遊び…さらに言えば、リレーごっこ。バトンゾーンも何となく、多少のショートカットも何のその、厳格なルールを求められたら、つまらない。

 だって、イメージの中では、自分はちゃんとかっこよくできている…それが、少し背伸びをしながら「ごっこ」の世界を生きる、子どもたちの姿なのだから。

(令和2年10月号 園だより「ひぐらし」より)

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