フィード
投稿
コメント

 薄く雲のかかった、少し肌寒い朝を迎えた卒園式。いつもなら、無理をせずに室内開催へ切り替えるのですが、新型の感染症への配慮から、今回は迷うことなく、園庭での開催を決めました。

 会場は、毎年バルーンアートで装飾。U字型磁石を模したアーチの上に救護用はしご車、その両脇には、野菜を手にしたゴジラと恐竜…この奇妙奇天烈なモチーフたちは、実は、卒園する子どもたちと、今年一年を振り返りながら、様々な活動の思い出から拾い上げたもの。

 もともとが、こじんまりとした、内々の会なので、例年とあまり変わりのない雰囲気で進む式を、後半は、柔らかな日差しが包んでくれました。

 式の終盤は、保護者のみなさんと一緒に、ギターをかき鳴らし、歌って踊って、最後に紙飛行機まで飛ばして…これも、今年ならではのスタイルだったのですが…これがなかなかいいのです。そう、この瞬間の、子どもたちの表情が違うのです。

 一事が万事、いつも通りにはいかない、この状況の中だから選んだ、新たな選択。だからこそ見えてくる発見や気づきがある…私たちは今、そんな経験をしているような気もするのです。

 これを遡ること数日前、園庭での式のリハーサルで、証書を手渡していた私の耳に聞こえて来たのは、少し遠くから響く叫び声。式台を前に、思わず顔をあげた私の、ちょうど視線の先にそびえる築山のてっぺんから、両手を口に当て、前のめりでこちらに何かを叫ぶ、年少の子どもたち。

 何事だろうと、証書を読み上げる合間に、築山の方角に耳を凝らすと…すると、聞こえてきたのです。口々の、

 「ありがとぉ〜〜〜〜〜」

 「楽しかったよぉ〜〜〜〜〜」

 の雄叫びが。さらには、証書で名前が呼ばれる子、それぞれへのメッセージが。

 年下の子どもたちに、あらたまって卒園式の意味を伝えることもないのですが、なんとなく、それを察しているのか…すると、こんな言葉が、溢れ出てくるものなのですね。

 私たち大人が掛けるどんな言葉よりも、一緒に過ごしたこの仲間たちの、こんな言葉にこそ、本当の意味と本物の価値がある…今年の卒園式のハイライトは、実は、このシーンだったのかもしれません。

 「これから、子どもの目の前に降りかかってくるであろう様々な困難を、せっせと取り除いてやるのではなく、それに向き合う子どもの傍で、励まし、エールを送り続けることが、大人、そして親の役目」

 休校や様々な自粛などで、少し息苦しく感じる今を思いながら、式辞では、こんなことをお話しさせてもらいました。

 そして、今やヨーロッパへとその感染が広がっていく中、急速に高まる自国民の不安に対して、デンマークやノルウェーの首相たちは、それぞれに、ある記者会見を行ったそうです。それは、子どもたちとの記者会見。

9歳から17歳までの子どもたちからの質問に対し首相は、ただ愛想をふりまくわけでもなく、大人の記者に対するようにキビキビと答弁していった。

 というニュース記事に、少なからず衝撃を受けた私。それは、改めて考えさせられてしまったからです。子どもを「大事にする」って、一体どういうことなのかという事を。

 少しでも、子どもに事が及ばぬように…そんな思いと同じくらい、いや、ある意味それよりも、子どもと向き合う大人としての大切な構えが、この記者会見の開催には、あるような気がするのです。

 外部との交流や、人の出入りが減り、ある種の社会的な静寂に包まれている園内に、ただただ、子どもたちの躍動だけが映し出されていくこの3月。

 卒園式も、そして園内の様々な営みも、もっともっと、子どもたちの手に、取り戻してやらなければ…そんな思いを新たにする、この年度末。 

 別れゆく皆さんに、この長き園生活を、まだ共に歩む皆さんには、この一年を…深謝。

 園庭の桜も、まもなく。

(令和2年3月号 園だより「ひぐらし」より)

返信する