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 台風一過、いつもよりちょっと涼しげに見える園庭。ここぞとばかりに、芝刈り機を出動させました。

 いつも夕刻の、それもお隣の集合住宅の影が、園庭を覆い始める頃合いを狙うので、お迎えで行き合う家庭も、毎回、同じような家庭も多くなります。

 ちょうど、玄関から出てきたG藤父さんが、「2週に1回くらいなんですね。」と声を掛けてくれました。

 芝生の元気な夏の時期は、本当は毎日が理想的なのです。少しでも葉っぱが刈られることで、その分、今度は根っこが頑張って伸びて丈夫になり、地上の葉は、横へ横へ広がっていくのです。

 私の都合とお空の都合を合わせても、週一ペースはいけるはずなのに…。

 そんな私の作業をじっと見つめている子、芝刈り機のエンジンに負けじと大声で、「園長先生〜」と声を掛けてくれる子。その度にエンジンを止めていては、作業が進まないので、申し訳ないなと思いつつ、手を振って応えることで勘弁してもらうのですが、たまたまエンジンが止まった瞬間、「何してるの?」と間髪入れずに問いかけられることがあります。

 「芝生を刈っている」と説明しながら、「刈る」という表現は、聞きなれないだろうなと思いつつ…「切る」「短くする」…う〜ん何か違う…だんだんと私の作業の様子と「刈る」が繋がっていくのだろうと、根気よく「刈る」で説明をすることにしています。

 田んぼの稲刈り、庭や空き地の草刈り…「刈る」を身近に見る機会も減ってきた昨今。「頭を刈る」なんて表現は、もうじき通じなくなるのでしょうか。

 さて、芝をカットする芝刈り機の刃は、丁度プロペラのような形をしています。それが回転することで、芝をカットするのと同時に、その芝をプロペラの原理で吸い上げて、後方の袋に貯めていくという、とても賢い仕組みになっているのです。

 以前、私が芝刈りをしている様子を見ていた出入りの大工さんが、「溜まった芝を、ゴミ袋に移していくことが大変なんだね。」と声を掛けてきました。

 そうなのです。芝刈り機を押して園庭をまわることなんて、なんてことはない作業なのですが、溜まった芝をその都度、ゴミ袋に移していく作業が結構な手間なのです。瞬時に大変さの本質を見抜く眼は、さすが職人さんだなと感心したことを憶えています。

 そういえば、その大工さんに、「園長先生は変わってるねぇ。」と言われたことがありました。他の園では、子どもが少ない時間や、子どもがいない場所で作業してくれと言われるのだけれど、子どもたちに見えるようにやってくれって言われたのは、初めてだと言うのです。

 ギャラリーに気を使いながらの作業は、申し訳ないなと思いつつも、こういった大工仕事を、まじかで見ていられる時間の「豊かさ」を大事にしたいと思うのです。

 こうして芝生の詰まったゴミ袋が次々と園庭に転がっていくのですが、それが増えていく光景は、芝刈りをサボった証として、私の胸にも刻まれていくのです。

 作業中、唯一、こちらから声をかけることがあります。ターゲットは、園庭を横切って退勤していく職員。「帰りがけに、ひと袋、ゴミ置場に持って行ってくれる?」とお願いするため。

 「何回か往復しますよ」と気を利かしてくれる者もいるのですが、そこは、「ひと袋だけでいいんだよ」と切り返すことが大事なのです。こういった野良作業は、頑張りすぎないことが肝要。

 でないと、芝刈り機の音が聞こえた瞬間、誰も園庭に近寄らなくなる…そんな心配も…頭をよぎるのです。

(令和元年8月号 園だより「ひぐらし」より)

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