フィード
投稿
コメント

思考する集団

 保育園でも、対外的な会議がオンラインに切り替わっていったことなどを、以前のひぐらしでも触れたのですが、いわゆる「研修」というやつもその例外ではありませんでした。
 一般的な製造業や商業的サービスとは少し違って、保育の世界は、保育者自身の習熟や変容が、「品質向上」そのもの。日々の経験に、外から新しい知見を加えながら、己の保育の捉え方を、再構成し続けていくことがその仕事です。なので、この研修の形がオンラインになっていったことも、私たちの仕事のスタイルを大きく変えたことでした。

 そうしたあるオンライン研修の画面に、2枚の写真が映し出されたことがありました。1枚の写真には、満面の笑みを湛え、少しおどけた様子で体を躍らせる3歳児が。もう一枚には、何かに思いを馳せるように、凛とした表情で、遠くを見つめる5歳児が写っていました。
 前者は、湧き上がる探究心に任せ、マイペースに生きる3歳児を。後者は、明日を見据えながら生きる5歳児を。それぞれの年齢を象徴するポートレートとして紹介されました。

 そして、このわずか2年の間の劇的変化の裏側で、一体何が起きて(育って)いるのか…というのがこの日のテーマでした。その背景にある育ちは、
 ・論理的思考力(因果関係の理解)
 ・他者の心を読み取る力(個性形成)
 ・言葉、ストーリー理解の飛躍
 とのことなのですが、そんな小難しい理屈はさておき、要はこの3〜5歳の間に、「言葉巧み」なって、「理屈っぽく」なって、「相手の気持ち」がわかるようになって…つまり、だんだんと、「ものがわかる連中」に見えてくるのです。
 心赴くままにブラブラと園内の徘徊していた3歳が、やがて何かを目指し協働する5歳となる…ならば、その間にある4歳の頃は、どう過ごせばよいのか…それは、「考え合う」生活だと言うのです。

 かしこくなっていく頭を、ふんだんに使って鍛えていく生活。しかもそれを、仲間と一緒にやるというのがミソ。例えば、日頃、それぞれがぶつかる些細な問題に、思いを交わしながら、その解決を考え合ってみたり…そんな思考の応酬を経験したい。「話ながら思考し、思考しながら話す」のが幼児期の特徴なのです。
 「仲間と一緒に思考する集団」…何だかカッコいい。それが写真にあった、あの凛とした5歳児の表情に繋がっていくと言うのです。
 ただ、この「年齢」というのは、「発達の順番」 を表す大雑把な指標に過ぎません。そうした育ちが、どのタイミングで訪れるのかは、人それぞれであることも、忘れてはいけないことです。

 さて、こうした話を聴きながら、私は園内で書かれた、「野菜はいつ育つ?」と題されたある4歳児の保育記録を思い出していました。

 その概要は…

 園庭の野菜育てに夢中なMちゃん。ある日、朝と夕の水遣りではあまり伸びていない枝葉が、翌朝になると大きく育っていることに気づくのです。
 見間違いかなと言いながら、保育者と一緒に前後の写真を撮影。やはり夜を越した時に大きくなっていることを確認すると、「正解!」と喜びながらも、「でも、昼に太陽を浴びるのに、どうして夜?」。 次なる疑問に、保育者が返答に窮していると…「私、考えてみる!」…こうして、Mちゃんの答え探しが始まったのです。
 そして、図鑑を開いたりしながら、「夜の空気に栄養があるのか」「月の光で大きくなるのか」などと推論を進めていったのでした。
 そして、それはある日の午睡時、Mちゃんと保育者が、言葉を交わした時のこと。
 「なんで寝るの?」
 「大きくなるためだよ」
 すると翌朝、保育者を見つけた彼女は、開口一番、
 「わかっちゃった!野菜も昼にたくさん食べて、寝てる時に大きくなるんだね。」

 この記録を書いた保育者は、端末を叩けば、何でも答えが出てくるこの便利な世の中に疑問を感じながら、「自分で考えてみる」と言ったMちゃんを支えたかったと振り返っています。
 そして、その記録は、次のように結ばれていました。

 今回、Mちゃんがたどり着いた答えが、本当の意味で正しかったのかはわかりません。しかし、年中児のMちゃんが『納得できる答え』だったのではないかと思います。
 そして、小学生、中学生へと成長していった時、「あの時はそう思ったけれど、もっと別の答えがあるかもしれない。」と思い、また自分で考えて、新たな答えを導き出していく。それを繰り返していくのだろうな、そうであって欲しいなと思っています。

(令和3年1月号 園だより「ひぐらし」より)

返信する