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師走の訪問者

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私ごとで恐縮ですが、師走に入った途端に体調を崩す中、押し寄せる年末のスケジュールを何とかこなし、ヨレヨレになって、ようやく辿り着いた年末。

「食う、寝る、遊ぶ」…こんなシンプルな毎日を、ただただ送りたいだけなのに、その裏側で、小難しい顔をした大人たちが顔を付き合わせ、なんと複雑な手続きを動かしていくのだろう…世の中って本当に不思議でなりません。

そうした中、先日の餅つきは、餅米を蒸すカマドの火を炊きながら、やっと我に返れたような…入れ替わり立ち替わり、そこを訪れる子どもたちの問いかけに応じるうちに、少しずつ元気を取り戻していくことを感じた時間でした。

何をやっているのか、どうして火を燃やすのか、銀色に光る入れ物は何なのか、釜やセイロには何が入っているのか、訪れる子どもたちそれぞれの興味は、驚くほど尽きません。餅つきとの繋がりに、少しでも気づいてもらおうと、もち米と普通のお米(うるち米)を手に取れるよう並べて置いてみたり、蓋をとって中身を見せたり。そうしていると、何歳であっても必ず、見事なまでに、その子なりの関心に応じて、五感を使い何かを確かめようと真剣に迫ってきます。この湧き上がるような好奇心。教えられる以上に、自ら知ろう、学ぼうとする存在…それこそがやはり、子どもなのだと思うのです。(それを引き出すには、物や人といった周囲の環境=仕掛けが大事なのですが。)

さて、この一年、利用者の方々には気づきにくい部分で、実は様々な動きのあった年でした。

春には、社会福祉法や保育制度に大きな改正があり、vv弱小法人としては、その激変の波を乗り越えるための体制作りに追われました。

また、来年度に実施される10年に一度の大きな教育関連の法改正を見据えながら、今後の保育内容をもう一度自らに問い直してみる一年でもあったようにも思います。これは、これからの園生活や活動の様子を見守っていただく中で、実感してもらえるように、私たちが頑張っていかねばなりません。

そして、園長として、保育者の研修会や保育者養成校で話をさせられていただいたり、専門誌の原稿を書かされせていただいたり、園内の実践やその考え方を、対外的に発信する機会が、なぜだか多い年でした。少し億劫な仕事でもあるのですが、そのおかげで、考えを整理できたり、新たな気づきがあったり、脳内の老化防止になったり…人に伝えようとすることは、自分自身が学ぶことになることを改めて実感しました。

その中で、とある大学からは、「20年後の社会モデル」というお題で何かを話せと…ニュータウン片隅、子どもの居場所に身を寄せる私になんと無茶な。それはちょうど目の前の子どもたちが、成人式を越えた頃だなと、その大きくなった姿を想像した時、ある思いを抱きました。

「コドモとオトナの境目は、一体どこにあるのだろう…」かと。

その頃の彼らを、私はオトナと感じるのだろうか、そもそも、私、そしてこれをお読みになっているみなさんは、いつ頃からオトナになったと感じたのかと。

もし何か一つ、コドモとオトナの違いをあげるとするならば、「育てる」という役割を少しずつ背負っていくのが、オトナと呼ばれる者の宿命でしょうか。それは、コドモと呼ばれる人に対してだけでなく、後輩や同僚、友人…そして周囲のみんなに…何らかの気づきや刺激を与え、憧れを抱かれる存在…それがオトナ。同時にそうしたオトナも、何かから学びを得ながら、育てられている存在でもあるはずです。

「育つ」というのは別の自分に変わっていくことです。何かから学びながら変容し続けるという点において、実はコドモとオトナの境目はないのかもしれません。育てる者が育った分だけ、育てられる者は育つ…とも言えますよね。

カマドの前を行き来しながら、貪欲に何かを知ろうとする姿は、本当に眩しい。でも、私たち大人だって、明日はまた、一味違った自分になろうとする姿は、やはりきっと、子どもに負けないくらい輝いている…それがもう、髪が白くなり始めた人であったとしても。

まもなく、年も変わっていきます。

(平成29年12月号 園だより「ひぐらし」より)

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