フィード
投稿
コメント

そこで一句

 五七五の十七音、世界一短い詩の出来栄えで、才能のありなし、昇級を競って一喜一憂…隠れテレビっ子の私が、ついついチャンネルを止めてしまう番組。

 いつもなら、テレビ画面を通して、大衆が求める姿を「演じる」芸能人たちが、結構本気で挑んで作り上げた一句。そこから立ち昇る作者の「美意識」という素の一面を覗き見る面白さ。

 それもさることながら、彼らの作品に批評を加える俳人、夏井いつき氏のちょっと辛辣で、明快で、歯切れの良いコメントが、何と言っても一番の魅力。それぞれの句の「手直し」をして、それを見事に蘇らせた瞬間に、私は鳥肌がたつような感動を覚えるのです。

 彼女の「手直し」を見ていて、だんだんと気づいたことがありました。それは、句の作者のコメントを手がかりに、時には問い返しながら、その真意を読み取ろうとする姿。

 作者が感じていること、言いたいことを、もっと的確に伝える言葉や表現を、丹念かつ厳密に見つけ出していこうとするのです。例え作者の感動そのものが、少しもの足らないものであっても、決してそこには手を加えず、あくまで、本人の心情を映す言葉を探す夏井氏。

 そして最後は、「でも、俳句ではよく描かれるありがちな視点」とピシャリ。

 詠まれた作者の思いに、最大限の敬意を払いつつも、そもそもの感性自体には「あなたらしさ」をとことん求めていく…そんな「手直し」なのです。

 別のものに変えたり、何かを加えたりするのではなくて、きっとあるはずのものを「引き出そう」とすること…「直す」ことの理想形をそこに感じます。

 たった2〜3文字の直しによって、それが別の思いに変わるのではなく、作者の思いの本質が、より鮮明に目の前に立ち上がってくる…その瞬間、作者の心情がこちらにもぐっと滑り込んでくる…それがあの感動なのだと思うのです。

 さて、暖冬とはいえ、冬ど真ん中の1月のある日、2階を覗くと、子どもも、そして保育者も体調不良でダウン…そのため、ちょうどクラス全体が半数となったおひさまぐみ(0歳児クラス)。

 そのせいか、いつもよりひっそりと感じる部屋にある、工夫された遊具の数々は実に饒舌。そして、子ども一人一人、全員の動きを追うことができるこんな日も、悪くないなと思う私。(お休みした皆さん、ごめんなさい。)

 他の子の遊びをじっと見つめる、目についた三輪車にまたがる、おもむろにハンドルを持ち上げて方向を変える、シャボン玉に手を伸ばす、見よう見まねで、息を吹きかけてみる、事務作業を片付ける保育者を傍で待つ、食事が目に入り駆け寄る…。

 時に微動だにすることなく、大きく表情を変えることもなく、多くを語らぬ彼らは、さながら哲学者。それぞれの振舞いの前に「何を思ってか…」という言葉を置きたくなるのだけれど、頭の中では、グルグルと思考を巡らす彼らなのです。

 だからなのでしょうか、「もう少しやりたい?」「鼻をかむね」「鏡で見てごらん」「明日、それやろうね」

 こうした一見当たり前に感じる担任たちの問いかけは、実は丁寧な「意思確認」であることに改めて気づかされるのです。

 自分が今置かれている状況を知り、やがて自分に起こるだろう事が伝えられ、自分の意思が聞き取られていく…周辺世界に対する情報収拾能力がまだまだ未熟であるからこそ、それをまず「知る(知らされる)」ことが、彼らの大事な権利なのです。そして次に、その時々の思いが「聞き取られていく」のです。

 先日、夏井氏の人気を探るべく、密着番組も放映されていました。その中には、彼女を通じて俳句の魅力を知って、句を詠むようになった人たちのインタビューも盛り込まれていました。

「どんなに辛い経験も、句の中でなら生かされる。必死に、忘れようとしなくてもいいんだ。」

 俳句との出会いに救われたという、そんな言葉が印象に残りました。

 思いを聞き取られる場所こそが、力をくれる…嬉しい時も、悲しい時も…大人でも、子どもでも。

(令和2年1月号 園だより「ひぐらし」より)

返信する