フィード
投稿
コメント

IMG 9292

 うみぐみ(3歳児)の保育室に飛び込んだ時には、ちょうど担任が、絵本を読んでいる真っ最中でした。その日は、みんなで保育を観察する研究保育の日。

IMG 9205 Fotor 10人ほどの子どもたちが、熱心に聞き入っていたのですが、中には少し離れた場所で、集団に背を向け、別の遊びに取り組んでいる子もいるようでした。するとその子は、手を止め顔をあげると、すっと立ち上がって、物語の声に引き寄せられるように、ススーっとその集団の後方、絵本の絵がよく見える位置に移動し、じっと話に聞き入っている様子でした。

 目は手元の玩具に落ちていたように見えても、実は、耳と心は、絵本を囲む集まりの中にあったのだと、この時にわかりました。

IMG 9212 Fotor 私たち大人は、子どもたちが集団で「なかよく」遊んだり、活動する姿を期待します。そして「なかよく」という言葉の中に、「足並みを揃え、みんなと同じように行動してほしい」という思いを込めてしまいがちです。しかし、みんなと過ごす方法、集団活動への参加の仕方一つとっても、個性や段階、そしてその時々の状況や気持ちで、様々な「あり方」があるものだと…学んだ一コマでした。

 また、それを認め合っていくクラスの雰囲気、それら個と集団の間を塩梅よく取り持つ、担任たちの働きかけに感心しました。

 木の部屋に移動してみると、そこには、うみぐみのもう一つのグループが、寒天を使ったゼリーを作っていました。これは、年間を通して楽しんでいる「感触遊び」の中で、材料を混ぜ合わせることで、サラサラからドロドロへといった、「状態」が変化する面白さに気づいた子どもの声から、生まれた活動なのだそうです。

IMG 9227 Fotor こういったモノの状態の「変化」が面白いと感じる背景には、それが何に生まれる変わるのかという「期待感」があるからで、これは、この先の未来を予想しようとする力とも言えます。つまりこの3〜4歳くらいから、時間の流れという感覚がはっきりしてくる、そして徐々にその中に我が身を置けるようになっていくのです。

 記憶喪失の大人が激しい不安感に襲われるといったことからもわかるように、過去や未来といった時間軸の中で、今の自分の居場所を感じていくことは、人として安心感を持って生きていくために、欠かせない力なのです。

 手渡されたまだ乾燥したカサカサの寒天を、思わずかじってしまう子、「こっちが硬い」「これ小さい」「サラサラ」「プルンプルン」「やめて!」「やってあげるよ」「喧嘩、うるさい!」「いい色でしょ?」…こうした、まだ少し衝動的で、遠慮のない喜怒哀楽の表出は、まさに3歳児らしい姿…「自分の王国」を生きる姿です。

 それに伴って、隣国との摩擦も増えるので、我が世の春ももはや…と気づき始めるのもまた、この時期なのです。

IMG 9276 Fotor 不器用に、衝動的に、あちこちに気を散らしながら…大いに失敗も楽しんでいく。大らかに見守るほどに、他者とのぶつかり合いは増えていくのです。

  「他者の中をくぐりながら、自分を磨いていく…それが3歳児」

  午後のカンファレンス(意見交換会)で、印象的な表現を耳にしました。「ぶつかる」経験だけでよしとせず、その後の思いに最後まで寄り添い切る…それが「くぐらせる」ということ。傍に大人がいる意味は、そこにあるのだと思いました。

IMG 9279 Fotor それに続く園庭遊び。基地なのか街なのか…仲間でイメージの世界を漂いながら、ビールケースや板切れなど園庭に転がるガラクタで…一見無作為に、無造作に組み上げられた、大きな環状の構築物(表題部分の背景写真)。

 このゴチャゴチャっと積み上がった無秩序なオブジェに…均衡を感じるのは…かっこよく見えるのは…心惹かれるのは…一体なぜなのでしょうか。

(平成31年2月号 園だより「ひぐらし」より)

返信する