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先日の運動会、今年もあいにくの雨模様で、宮上小の体育館をお借りして実施した会でありました。

園長の日頃の行いが悪いのか、ここ10年ほどを振り返ると、それ以前と比べ、相当な確率で雨天に当たっているような気がします。今年の時期外れの秋雨前線、台風到来を考えても、地球規模で季節の変わり目も揺らいできているのかな…そう考えると、運動会どころか、それよりずっと不安にかられるのですが。

昨年も同じようなことを書いたように思うのですが、毎年のこの時期、園内の大人たちは、毎日、天気予報とにらめっこをしながら一喜一憂、運動会当日の雨天がほぼ確実となると、一様に肩を落とします。それでも、体育館での開催が終わるたびに、「これはこれでいいものだな。」と思うから不思議です。

もちろん青空のもと、大地を蹴って開放感を満喫する運動会が一番なのかもしれませんが、会場のみんなの気持ちが自然と中央に向く、お互いの心の動きが伝わってくる…そういう点では、体育館の方が一枚上手かなとも思います。会場のみんなの「気」のようなものが湧き上がり、それが四方の壁に封じ込められて…時間と共にどんどん充満し膨らんでいく…閉じられた空間には、そういった状態が起きやすいのかもしれませんね。

さて、日本の保育・教育は、伝統的にこういった「行事」を軸に組み立てられてきたという側面があるように思っています。それもどちらかというと、「集団的に表現する場」として成立しているようです。これは本来、特に乳幼児期の場合、「披露したい」「共感してもらいたい」という、子ども自身の自発的な思いが前提となるべきもので、個々の発達や個性に応じて、その程度は様々なはず。まずは自身が夢中になる段階、家族や友だちなど、身近な人に共感を求める段階、いずれ大勢に披露したくなる段階などなど。大切なことは、先を急がず、その時々のステージを十分に経験することなのですが、運動会などの行事は、ともするとこういった個別的な発達や関心を丸ごと押し流してしまう…そんな危うさも合わせ持っている気がします。

実は私たちも、そういった悩ましさや難しさと向き合いながら、行事の内容を少しずつ変容させて来ており、かぜグループの「得意だ走」も、そのわかりやすい工夫の一例かもしれません。ただ、これは運動会でなくてもいいのかなと考えてみたり、0〜2歳児の行事への関わり方も、子ども自身の発達段階を考えると、再考の余地はありそうですし…行事の変容はまだまだ途上です。

そして、12月にはまた、「お楽しみ会」が控えています。運動会が「運動遊び」だとしたら、こちらは「イメージ遊び」、少し強引に言えば、前者が外遊び、後者が室内遊び…でも、それぞれにダンスがあったり、けん玉があったり…いずれにせよ、子どもの自発性や個々の発達に考えを及ぼすほど、それを区別することの必要性もどんどん怪しくなります。

子どもたち一人一人異なるはずの充実感や満足感、見せたいという共感意欲。そうしたものと、画一的な集団性に陥りやすい行事というものを、少しでも高い次元でつなげていきたい…そう願いながら、今年のお楽しみ会も、そのスタイルの変容に挑んでいこうと考えています。

一人一人の毎日こそが大事にされる、成果よりも、活動途中に遭遇した個々に異なる経験が大事にされる…それを目指す時、見せる場としての行事とは、一体どんな意味を持つのだろう…そう問い続ける中で、確かに…「これもいい」と感じた瞬間が、あの運動会にはありました。

きっとそれは、育ちつつある目の前の子どもの姿を、その背後にある園が大事にしようとしているものを、あの場のみんなで共有できた…そんな一瞬があったからなのかもしれません。
私はここに一つの、これからの行事の持つ意味と、目指すべき方向が見えるような気がします。

それは、「園の文化を確かめ合う」場、別の言い方をすると「子どもたちの表現を通して、日々の暮らしぶり(活動のプロセス)に思いを寄せる」場…。

そこを一緒に…目指してみませんか。

(平成29年10月号 園だより「ひぐらし」より)

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